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2011年08月03日
ルソーさんと○○オさん
こんばんは。
conclave(コンクラーヴェ)です。
早速ですが、今日、ある芸術家のtwitterを
拝読するとこのような内容が・・・
「アンリ・ルソーの独学絵画が20世紀美術の中で存在を発揮しているのは
そこに「本能」と「肉体」があるからだ。」
個人的に、なんとタイムリーな。
その直前には、こんなtweetを
「独学って結局、肉体を通過することで学ぶんだけれど、
アカデミックな学問は人の考えを自分の頭に移植するようなもんで、
暗記みたいなもんだ。解った気になるだけで、錯覚じゃないの。
そんな錯覚人間が集まって錯覚社会を作っているというわけか。」
また痛烈なご意見を。
私自身も、反省させられるtweetであります。
はい、ここらへんでこのtweetをされた方の正体を。
横尾忠則さんであります。
当然、私は単なるいちルソー・ファンでありますが、
アタマではなく肉体、っていうルソー解釈はすごーく共感します。
まぁ、横尾さんがおっしゃるんで説得力が増すんですが。
横尾さんといえば、3年前のちょうど今ごろ、
兵庫県立美術館で開かれた、「横尾忠則・冒険王」という
展覧会を鑑賞したんですが
その中で、横尾さんが描いたルソーさんの絵のパロディを
鑑賞して、一人さびしく感激したのを思い出しました
(私が行ったときは、ルソーパロディ・コーナーは観客まばらでした)。
たとえば、ルソーさんの自画像
風景の中の自画像 1890年・プラハ国立美術館

が、横尾さんの手にかかるとどうなるか?
興味がある方は、
ほぼ日刊イトイ新聞のこの記事
http://www.1101.com/boukenooooo/2008-05-30.html
を閲覧ください。
※記事自体もめちゃくちゃ面白いですよ。
お時間あれば、ぜひぜひ。
このなかでは、触れられてませんが、
この絵に限らず、ルソーさんの絵でよく話題に上るのが、「遠近法」。
ルソーさんは遠近法をマスターしていたのか、
マスターした上で、この自画像のような絵を
あえて描いたのか?
※この問題、詳しく知りたいかたは昨日紹介した
『アンリ・ルソー楽園の謎』をお読みください(笑)。
横尾さんのパロディ画によって、
絵画の常識にそって描かれた、自画像を現実にみることで、
この問題があざやかになりました。
私個人が思うのは、単純にルソーさんは自身が
見えたままを描いたのではないかなあ、と。
ちなみに、
横尾さんの作品で好きなのは「Y字路シリーズ」であります。
記事の一番上、ポストカードの写真もY字路シリーズで、
作品名は とりとめのない彷徨・2002年。
Y字路シリーズについては・・・
おなじくほぼ日サイトで、
横尾さん・タモリさん・糸井さんで
その名も「Y字路談義」(笑)って記事があります。
そのなかで、もちろん「Y字路」作品も何点か見れます。
こちらもぜひぜひ。
http://www.1101.com/yokoo_tamori/2004-07-07.html
では、Yつながりで
Norah Jones : Don't Know "Y”(しつこい?)

ではでは。
今日もこのへんで。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
Posted by conclave at 20:44│Comments(0)
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