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2011年09月11日

『エターナル・サンシャイン』

こんばんは。
conclave(コンクラーヴェ)です。

以前の記事 にも書きましたが、


人間の記憶って結構いい加減で、外部からの刺激や、
自分の主観(これが一番大きいかも)によって、
簡単に歪曲されるそうです。

でも、だからこそ、忘れたい記憶も自分の都合のいいように
オブラートをかけて、日常をおくれるのかもしれません。


では、いやーな記憶、根こそぎ消去できるとしたら?


『エターナル・サンシャイン』



あらすじ
 バレンタインデーを目前にしたある日、
ジョエル(ジム・キャリー)は不思議な手紙を受け取った。
そこには、最近ケンカ別れしてしまった恋人クレメンタイン(ケイト・ウィンスレット)
についてこう書かれていた。
“クレメンタインはジョエルの記憶を全て消し去りました。
今後、彼女の過去について絶対触れないようにお願いします。ラクーナ社”。
仲直りしようと思っていた矢先にそんな知らせを受け、立ち直れないジョエル。
そして彼も、彼女との記憶を消すことを決意し、ラクーナ医院を訪れる。
そこでは、一晩寝ている間に脳の中の特定の記憶だけを消去できる施術を行なっていた。
allcinema」さんの解説より


(もすこし補足を。。。)
ということで、ジョエルの記憶除去施術がはじまります。

いままさに消されようとしているジョエルの記憶をたどることで、
観客は二人のこれまでのいきさつを知ります
(このあたりの脚本はホントにうまいかと)。

どうして二人が別れることになったかも。

と、ジョエル、途中で気が変わって
記憶除去施術に抵抗しだします。。。

ここからが、この映画の真骨頂。

記憶除去装置にどんどん消されていく、クレメンタインの記憶。
それに抵抗しようと、わずかに残る彼女との記憶の中を逃げ回る
ジョエルとクレメンタイン。

これ、よく考えるとジョエルのアタマの中でのこと。

このあたりを映像化したミシェル・ゴンドリーのアイデアの数々。
ためいきものです。。。


これ以上、映画の内容を書くと完全にネタばれになるんで、
こまかい内容については打ち止めということで。


映画の大すじとしては、ラブストーリーになるであろうこの映画。

たいていのラブストーリーって、
お互い新たに同時共有してった体験をとおして
最後に結ばれるって内容がほとんどだと思うんですが、

この映画ではパートナーとの記憶
(だけでなく、自分の知られたくない記憶も)という
過去を現在において同時共有したうえで、
こんなイヤなことあったけどそれでもヨリをもどす?
って内容で、時間軸の向きがちょこっと違うのが面白いです。

役者陣も
こないだの記事のような 普段のはじけたキャラを極限まで封印して
いじけ男役を演じきったジム・キャリー。

対して、逆にシリアス系の役どころが多いケイト・ウィンスレットが
自由奔放なクレメンタイン役を演じたり(相変わらず美しいですが)。
(個人的に、典型的な軽薄な若者を演じたイライジャ・ウッドに一票(笑))

と、観どころ多いこの映画。
上映時間的には割と短め(2時間足らず)なんですが
内容が内容だけに、
「この場面って、記憶の中の話?」
「これ、現在のシーン?」ってこっちのアタマが混乱(笑)
することもあるかもしれないんで、そんな時のためのヒントをひとつ。

ずばり、
「クレメンタインの髪の色」。

この点、さらっと注意してもらうと、アタマのなかがずいぶん整理されるかと。

めちゃ好きな映画なんですが、観るヒト選ぶかなーと思ってたんですが、
amazonレヴューなんかで、思いのほか評価が高かったんで
(みんなそれぞれ評価ポイントがちがっててオモロイです)、
自信を持って(笑)、ご紹介する映画であります。








ではでは。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
  


Posted by conclave at 20:28Comments(0)映画

2011年08月31日

『マグノリア』

こんばんは。
conclave(コンクラーヴェ)です。

明日あたりから、天気が悪くなるみたいです。
でも、たまには雨もいいもんですねえ。

日本には「水に流す」っていい言葉もありますし(笑)。

ですが、水が降ってくるから良いものの、

もし、「アレ」が降ってきたらどうしますか?


『マグノリア』 監督・ポール・トーマス・アンダーソン



ストーリー
曇り空のLAの郊外で、死の床にある老人や、その息子、クイズ番組の司会者、
その解答者である天才少年らの苦悩が交錯。
その夜、彼らの前で、世にも不思議な出来事が起こる。


この映画の主要な登場人物たち、みーんななにかしら問題を抱えています。

そして、映画が進むにつれ、抱えている問題の状況が悪化してきます。

で、問題がピークに達したとき、


「アレ」が空から降ってきます(村上春樹の小説では別のものが降ってきましたが)。


ハイ、賛否両論が激しい場面です。

ストーリーを放棄している、破綻させてる。
それまでリアルな描写を中心に展開していたのに、ぶち壊し。などなど。

うんうん、なるほどなるほど、となりがちですけど、私は負けません(笑)。

私が思うに、登場人物たちの
何をやってもうまくいかない状況。
ながい間、じぶんを悩ませる人間関係のしこり。
信頼されている人を裏切った罪の意識。などなどが

「アレ」が降ってくることですべて“浄化”されていると思うんです。

「水に流す」ではなく、「アレに流す」みたいな。

でも、記憶から消し去るとかの意味ではなく
「「アレ」が降ってくるような世の中やん、もうなるようになるわ」
てな感じで、問題を抱えつつ生きるしかないなって悟るというか。

そういう意味での浄化の効果が「アレ」のシーンにはあるんではないかと。

この映画、いろんな見方が出来て、嫌いなヒトはホントに嫌いだったりします。

ですが、私は上述のような解釈を勝手にしてるんで、そういった意見も
「アレ」に流せたりします(笑)。

と、書いてきましたが、約3時間と長丁場の映画であることは事実。
強くおススメするといった無責任なことは言えませんが、
人生山あり谷ありのひと(みんなそうか)、谷あり谷あり・・・山ありなひとなど
紆余曲折あったひとが観ると、終盤降ってくる「アレ」に感動さえおぼえるかも。

「アレ」以外にも、エイミー・マンの音楽、ジョン・ブライオンのBGM、
主要な役どころではないですが、フィリップ・シーモア・ホフマンの演技などなど
見どころ、聴きどころがたくさんの作品。

あと、ここまで読んでいただいて、
「アレ」ってなんやねーん!って良い反応をおしめしの方(笑)、

もう観ていただくしかありません。

まあ、ネットで検索されるとソッコーでわかっちゃいますケド。


Magnolia - Aimee Mann - Save Me

Magnolia - Aimee Mann - Wise Up






ではでは。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。  

Posted by conclave at 23:34Comments(0)映画

2011年08月10日

『お早よう』




こんばんは。
conclave(コンクラーヴェ)です。

今日も暑かったですねー。
暦の上では立秋を迎えたというのに。

こういうときは、ひと雨ほしいですねえ。

かと思えば、最近の雨はゲリラ豪雨とかいって、
しゃれにならない降り方しますからねえ。

あー、明日も暑いそうですねえ。

まだまだ続きそうですねえ、この暑さ。


こーんな会話、いま日本中で流行ってそうですよね。


特に、そこまで親しくない間柄の人同士や、
会話につまった時に(笑)。


でも、こんな間(ま)をつなぐ会話って、
実はとても人間らしいというか、高度なことなんではないか?
とも、思ったりもします。

微妙な関係を保つために、互いに内容のないことだとわかりつつ、
言ってみれば、台詞をしゃべってるような。


それを小津安二郎監督は作品『お早よう』のなかでは、
「潤滑油」と表現されています。


この作品、特にワクワクドキドキする場面はありません。
新興住宅地に生活する人々の日常を描いているだけです。

ですが、そんな日常のなかでさえ、
人間て高度なコミュニケーションを駆使する動物やなあ(笑)と、
考えさせてくれます。

たとえば、作品のなかで「男のおしゃべり」を叱られた子供が、
はじめに書いたような、いわば「大人の無駄話」をやり玉にあげ、
反論する場面があります。

と、そういう子供も、相手のおでこを指でつつき
オナラを出し合うという(笑)、究極の無駄ともいえる遊びが
コミュニケーションの一部になってたりします。


たまーに柄にも無く、
「人間らしさ」とか
「動物とヒトを分かつもの」は
なんやろうとか思ったりしますが、
結構こういうことにヒントが隠されているのかも。


といった戯言はおいといて

この映画、

次男役の子役のかわいらしさ、
父親役の笠智衆さんの枯れた演技(こういう歳のかさね方良いなあ)
などもあってか、

なぜか、たまに観たくなる映画であります。


オナラ遊び






ではでは。
今日もこのへんで。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。



  
タグ :小津安二郎


Posted by conclave at 22:15Comments(0)映画